top of page

全てが面倒になる

思ったほどの期待が得られないことが判明したとき、それでも続けるべきか撤退すべきかは専ら言い出しっぺに委ねられている訳であるが、少なくともモチベーションをなくしても続けられるのか自然消滅するまでは耐えるのかそこに焦点が言ってしまう。


これは全くもって無意味な時間である。


そもそもを言うのであれば、物事の始まりがいつだって自分の為になってしまうコレに関しては、それならば自己完結を極めるのが解決法になるべきではないだろうか。

他者に干渉しておいて勝手を貫くならばこそ、他者の問題解決が未完なままに終わることを恐れないで何を恐れるというのだろう。

そこまでを含めて、拡張された貴方の問題であること、そうでなければ自己に縋りつく肉塊の物語を綴り直すだけのことである。


私曰く、それだけ他己を殺しておきながら干渉する気はなかったのだと弁明するのだが、権利に固執するだけの犬に食わせる飯は無いと心底思う。

コレを飼って二十数年、権利を食って生きていることは知っていたが、いやはや人の権利まで食い始めるとは思ってもいなかった。


まぁ、そんなことはどうでもいい。

私は端から期待もしていないし、コレに食わせるものがなくなろうが知ったこっちゃない。


要は、出来ないからやらないは理由にならない、ということさえ覚えていればいい


私はそれを知った上で「やらない」を選択するのだが

最新記事

すべて表示
文字の羅列の羅列

サークルが何の為にあるのか それは紛れもなくサークル員の為である サークル員がそこに居て楽しめるのであればそれ以上のことはない であれば、次にサークル員の定義を考えねばならない サークルに加入後、一年以上を過ごした私達については無論のことである...

 
 
 

Comentarios


©2021 by 経済科学研究会 OIC支部。Wix.com で作成されました。

bottom of page