冒険と趣味の話
- らびっとぉ
- 2021年5月19日
- 読了時間: 3分
知識と経験は異なる
しかし、経験の重要性というものを言葉で表現しようとするとかなり難しい
経験もまた知識の一種に過ぎないと言われてもそれを否定出来やしないし、知識だけで経験者の振りをすることも可能である
だからこそ私は、経験は自己完結で構わないと考えている
他人から見られて経験しているかどうかはさして重要ではない
重要なのは、自分がどう考えて動くかである
「分からない」
「不思議だ」
といった考えはいつだって自分の内側から生じる
この解決策を
「人から教えてもらおう」
と考えるか
「やってみよう」
と挑戦するかの違いで分離するだけのことである
ただし、もし知識を付けたいだけならば、もっと簡単な方法がある
それは、人について行くというやり方だ
この人について行けば何かしらの知識が得られる
この団体に属すことで何かを教えて貰える
受動的ではあるが、効率的に専門分野の知識を付けるならばこちらの方が遥かに労力をかけずに学べる
私は意外かもしれないが、小さい頃からそうして誰かについてまわるのが好きだった
父親は植物に詳しくて、一緒にサイクリングなんかに行くと多くのことを学べた
小学生の頃のコミュニティはそうやって選んでいた
高校に入って、なるべく多くの部活に入るようにした
今だって、交友関係は広ければ広い程ついて行けれる人が増えるから良いと思っている
しかし、それは自分がやりたかったことじゃない
ただただ知識を増やしたかっただけのことだ
一方で、幼い頃から1人で冒険することが好きだった
小学生の頃は通学路を逸れて森に入ってみたり
中学生なんかになると深夜家族が寝てから、外をぶらぶらと歩いたり
深夜の学校に1人で忍び込んだこともあった(そういうのは普通みんなとやるものであるが)
知らない街をただ歩くのが今でも好きである
地理的なものに限った話ではない
新しい趣味を増やすようにして生きてきた
ハーブティーとか、シーシャとか、占いとか、勉強だってそうだ
ただ、いつしかそれをただの現実逃避と捉えるようになっていった
本当はやらなきゃいけないことがある
それを差し置いて、新しい分野を開拓するのは逃げたいだけなのだと
果たしてそうなのか
冒険の無い日常が本物で
新たな挑戦は逃げる行為なのか
ここら一年でその考えは間違いなのではないかと感じたことがある
昨年自粛を強いられて、授業を消化することに追われ、現実逃避をやめようとした
その結果、私は生きる意味を失った
私は冒険なしに生きて行けていけないことを知った
結局はバランスである
全てをフィールドワークに委ねるには些か非効率であるし、
受動的であり続けるようでは発展しないし身につかない
それでも私は冒険をし続けたいと思う
そうなければならないと思う
皆さんは冒険をしているだろうか
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