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日本語のこれからの話ww

更新日:2021年4月29日

記号というのは実に面白い


例えば古文の原文なんかでは句点も読点も見られないが、それが現代では様々な記号を文章に織り込ませながら文章を書いている

ここに、記号の役割として通常の文法の欠点を補完するということが挙げられるだろう


その一例として「ー」、いわゆる伸ばし棒がある

日本語本来の表現では「かーさん」は「かあさん」であるし、「しょーぎ」は「しょうぎ」、「カードゲーム」も「カアドゲエム」になる筈である


しかし、江戸後期から明治時代にかけて外来語が増える中で、伸ばす音を表す記号が開発された

だれが使い始めたのかは明確ではないが、一説によると当初は「引」という字を伸ばし棒の意味で使っていたという

それが徐々に簡略化され「引」の右側だけが残る形となり、それが今度は九十度傾いて今の「ー」になったという


英語などのハイフンが取り入れられた訳ではないということだ

というのも、日本語と欧米の言語の違う点として、音節で区切るか、拍で区切るかの違いがある

日本語ではほとんどの場合で子音と母音がセットになって一つの拍を形成するが、他の言語ではそれが子音+母音+子音の形であったり、母音+子音という形がざらにある

そこに長母音という概念が加わると、一定のリズムで区切ろうとする日本語にとっては伸ばし棒を使わざるを得ない


という訳で、伸ばし棒という記号一つとっても興味深いものが見えてくる


以前、どこぞのボイロ解説動画で「w」について考察するというものがあった

私はこれをみて衝撃を覚えた記憶がある


これまで「驚く」や「疑問に思う」ことを表す「!」「?」はあったが、面白さを表現する方法はなかった

そこに「(笑)」が開発される

更になんやかんやあって「w」に進化することで文章中にも使用することが可能となった

こうして、ただの笑いだけではなく、笑いの程度から話者のテンション、挑発まで様々な状況を表現できるようになったのである


言語の写実性という観念が時に言語に革命をもたらすこともある

私は「w」を一つの言語的な革命であったと捉えている

絵文字文化も革命的だったが、「w」の分かり易さと環境依存や特殊性から脱却した普遍性には見直すべきものがあるだろう

要するに「( ´∀` )」や「😢」ではないということだ



言語は日々進化している

古き良き文化を守ることも大事であるが、言語の行く先がどのようなものなのかに夢を馳せるのもまた乙である

そんなところだ

ではまた、明日

ぼーなんのくとん!

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