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不思議の国のアリスの世界へ③(レジュメベタ張り)

不思議の国の色概念

現代の人々にアリスの服装を聞けばどのようなものが思い浮かぶだろうか? 恐らくは、水色ベースに白いエプロン、黄色の縞模様の靴下*[1]に黒い靴、そして青いリボンカチューシャ*[2]と、いったところだろう。


定まらない色

しかし、実際はアリスの物語に着色がされたのは後になってからの話であり、固定化された色概念がある訳ではない。


・1889年 『子供部屋のアリス』

黄色ベースに白いエプロン、青をアクセントに取り込んだ構成。

しかし、初版は色が派手過ぎるということで回収(そしてやっぱりアメリカへ)。


・1893年 アメリカ版での彩色

米国で青に彩色されたものが発行されたが、ドッドソンは恐らくこれを知らないとされる。


・1903年 『不思議の国のアリス』カラー版

ドッドソンの死後、テニエルの意見を基にマクミラン社が着色。

大体は子供部屋と同じ色。


・1907年 『不思議の国のアリス』カラー版第二版*[3]

赤色をベースに白いエプロン、黄色い靴下と一部に青を取り込んだ構成。


・1911年 ハリー・シーカーによる彩色

マクミラン社は当時有名だった画家に依頼し着色。

淡い青(紫)に白いエプロン、青い縞模様の靴下となった。


・1920年 ジョン・マックファーレンによる彩色

ハリー同様、マクミラン社が当時有名だった画家に依頼し着色。

青ベースの白エプロン、靴下は白で赤のアクセントを取り込んだ構成。


これには印刷技術の問題が大きく関係しており、必ずしも意図の通りに着色されたとは言えない。

特に注目すべきは1907年の赤であろう。ドッドソンの初期設定ではアリスのドレスは赤であったという話すらあるが本当かどうかは定かでない。


アリス=青色*[4]の真意

ドッドソンが本当にアリスのイメージに青色を充てていたかは定かではないが、色とジェンダーの関係性については触れておかねばなるまい。

現代のステレオタイプ

男性(男の子) ⇒青色(ブルー)

女性(女の子) ⇒赤色(ピンク)

これらのイメージが定着した歴史を順にみてみよう(但し、今回は欧米に限定する)


まず第一に、古くに於いて子供には男女の区別が無かったことが言える。

大人と言える基準も現代よりはるかに低く、教育の概念も非常に薄い。

しかし、キリスト教が普及して後では話が異なってくる。

女性が結婚できる年齢に達すると親によって淡い青色の服をまとう風習が出来たのだ。理由としては聖母マリアのシンボルカラーが青であるからだと言う。*[5]

それから時代が下り、状況が一転したのは1953年以降。アメリカ大統領のドワイト・D・アイゼンハワーのファーストレディであるマミー・アイゼンハワーがピンクの服をよく好んでいた為にファッション誌がこれをトレンドとして取り上げたことによる。

大まかにはこの流れであるが、ヴィクトリア時代には少なくとも女子が青色の服を着ることに抵抗がなかったことは確かだろう。

従って、このことから二つのことが分かる。

それは、私達の色に関するジェンダーバイアスが歴史的には非常に新しいものであることと、ドッドソンが何の意図を以てその配色をしたのかは結局謎であることだ*[6]


アイデンティティと成長の風刺

不思議の国のアリスには非常に哲学的な内容を孕んでいる。その最たる例がアイデンティティの話である。

 身体的変化

アリスは作中で最低でも8回身体の大きさを変えている。

このような中でアリスは自分というものが何だか分からなくなってしまう。(8回目は勝手に大きくなるが、大まかには夢から覚める兆候としての意味合いが強い)

・『Drink me』……身体が小さくなる

・『Eat me』……身体が大きくなる

・ケーキ……身長が伸びる*[7]

・扇子……身長が縮み、かつ小さくなる*[8]

・白ウサギ家の小瓶……身体が大きくなる

・小石のケーキ……身体が小さくなる

・キノコ……片側を食べると身長が伸び、もう片側を食べると縮む

・理由なし……勝手に身体が大きくなる


 アリスのアイデンティティ喪失

アリスがアイデンティティを失ったことは、アリスの思考や会話から見て取れる。

その中でも興味深いのは、五章でハトに話かけられた際に「女の子」であることを疑うようになったシーンである*[9]。それまで「わたし」を疑っていたものが「女の子」に変わる。その真意もまた定かではないのだが、幾つか説はあるだろう。


・社会的なジェンダーロールの崩壊

中産階級の出現に伴うヴィクトリア時代のジェンダーの変化は男性にとって危機的に感じたことだろう。

男性の独占していた職業は女性に奪われ、家庭というものが崩壊する可能性を孕んでいた。(まあ、ドッドソンは生涯独身なので家庭など知ったこっちゃないのだが)

・アリスが女の子でなくなることへの警告

ここでは逆に生理的に大人になることが、「女の子」ではなく「女性」になることだと踏まえ、アリスに「女の子」であってほしいという願望の表れではないかと思われる。

・思春期のアイデンティティの再構成

例えば、アリスの物語を大人への成長の物語と仮定する。思春期にはそれまでの親から与えられるジェンダーが、身体的な性差の出現によって実態の伴ったものに変化していく。この際のジェンダーアイデンティティの再構築を再現しているとしたら、この物語を通してアリスは女性らしさを獲得することとなる。


 夢という存在

ご存知の通りアリスの物語は有名な夢落ちの物語である。それまで現実の延長線上にあった『夢』が、最終章で現実から切り離される。夢は夢で終わったのである。この解釈はあまり為されないようだが、それは物語の意義を問うものである。(特に『夢』の意味合いに注目して読んで頂きたい)


・杞憂という風刺

こうしてたらたらと文章を連ねてああだこうだ言ってきたが、それらが『夢/妄想』であったと言えば、何ともやるせない気持ちになる。

だが根が数学者ならばそう思ってしまうことも不思議ではない。

現実には一瞬で身長が伸びることもなければ、白ウサギが喋ることもない。

それについて語ることは不思議の国の住民の妄言とそう変わらない、という話だ。

・夢の美化

一連の物語はある意味恐怖や不安定感を孕んでいる。

しかし、一度それが『夢/幻想』であったと知れば、その幻は冒険物語として美化することが出来る。

どこぞの年齢詐称ではないが、永遠の7歳として純粋な意味でドッドソンを癒し、読者を癒すだろう。

・夢の否定

発達的に見たときの、自己中心的な「お姫様」という『夢/願望』を否定し、現実的で協調的な人間へと成長するプロセス。

これを12章に当てはめることが出来る。

身体の巨大化も最初はアリス自身が望んだことに始まった。

望めば望む程遠回りしてしまう世界で、アリスは最終的に、自分の首がはねられるかもしれないのにもかかわらず裁判で被告を庇おうとした。

これはアリスが成長したことを示しているとも言える。


と、ここまで不思議の国で巻き起こるアリス自身の変化を見てきたが、私達は絶えず細胞レベルで変化し続けている。

『不思議の国のアリス』という一つの作品もまた歴史の中で変化し、文化もまた変化するものである。この問題に答えはないが、アイデンティティに拘らず柔軟に生きることはドッドソンが隠したこの物語の教訓であろう。


おわりに

如何でしたかね。やっぱ奥が深いんでね、本当はマザーグースも触れようと思ったんですが今回は許してやろうってな感じですわい。一応オマケが続いてますが、これにて終了です。


[1] 黄色い縞模様の靴下……不思議の国段階では靴下は青一色で、鏡の国でようやく縞々になっている。 [2] アリスのカチューシャ……アリスと言えば、カチューシャみたいなコスプレの流れがあるが、そもそも不思議の国のアリス段階ではアリスはカチューシャをしていない。鏡の国で初めて着用し、更に子供部屋発行時の改編で不思議の国の挿絵に付け足されているのである。 [3] 1907年以降のアリスの物語……1907年はイギリスに於いて『不思議の国のアリス』の著作権が切れた年である。これ以降、様々な著名人が表紙を変え、挿絵を変え、グッズを発売している。例えば、アーサー・ラッカム、チャールズ・ロビンソン、サルヴァドール・ダリなど [4] アリスと青色について……このイメージについては1911年以降定着したとされる。因みに、アリスブルーという色の名前があるが、不思議の国のアリスとは無関係である。 [5] 女性の青い衣装についての追記……逆に女性の青い衣装は未婚/処女であることを表し、赤い衣装は既婚/非処女であることを表していたという意見もある。 [6] ドッドソンの配色に関する私的考察……私はてっきりジェンダーまで風刺して敢えて青を選んだのかと思ったが、その可能性は低そうだ。この場合は本当に着ていた服を再現した、もしくはアリスが永遠に子供(処女)でいてほしいという願望の表れか、他のキャラとの色彩的バランスの問題かが考え得る [7] 白ウサギ遭遇時のアリス……ケーキを食べた後、アリスは自分の身長が伸びていることに気付くが(テニエルの挿絵にも縦に延びたイラストがある)、次のシーンの挿絵にはアリスは大きさの変わらない状態で描かれている。挿絵の段階ではそれを見た白ウサギが落とした扇子を拾っていない為、身長が伸びていなければおかしい。これこそがアリスの変化が薬物の幻覚であるという説の根拠となっているが、ならば何故白ウサギはアリスに驚いで逃げたのであろうか。 [8] 高低と大小……そろそろ気づいたとは思うが、アリスの物語では身長の高低と身体そのものの大小をごちゃ混ぜにして表記している。中には敢えて曖昧にしているようにも感じてしまうものもあるが、結局これは幻覚なのか別の意図があるのか… [9] アリスのヘビ疑惑……ハトはアリスがヘビで自分の卵を食べようとしているのだと疑うシーンであるが、何故かアリスはここで女の子であることを主張し、女の子が卵を食べるという話に発展する。当時の風習に女の子と卵の関連があったという話は見つからなかったが、論理学に強いドッドソン先生が敢えて男の子を省いたのにはどういった意味があるのだろうか

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