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芸能の歴史についてまとめてみた①(レジュメベタ張り)

巫女から神楽まで

 芸能の黎明期

日本の縄文から奈良時代にかけて様々な歴史的な出土品が発見されている。

   例:三角縁神獣鏡、勾玉、銅戈、銅剣、銅矛、銅鐸……

それらは実用性には欠けており、祭祀に用いられていたとされるが、その実態は分かっていない。

しかし、例えば三世紀にいたとされる卑弥呼は、鬼道という呪術によって国を治めたとされる。

当時は巫女が国の統治者であり、後の採物となる神具は依り代であった。

それは天皇と三種の神器の関係に変わりない。


 最古の芸能

現代まで伝承されている芸能のうち、最も古いものは神楽である。柳田国男の弟子で知られる折口信夫は以下のように述べている。


「日本の神道に、最重大な意味をもつてゐる呪法の鎮魂法が芸能化した第一歩が神楽だと思ひますから、どうしても、日本の芸能史に於ては此を第一に挙げるべきでせう。」


従ってここでは最初に神楽を取り上げる。

神楽と聞くと馴染みがないが、獅子舞はこれに含まれる。

獅子舞とは

調べ切れないくらい諸説あるが、椿大神社の「椿宮獅子神御祈祷神事」を最古とする説や、伊勢神宮でのものを最古とする説、中国を起源とする説、インドが発祥という説、エジプトまで辿る説まである。

日本書紀の記述では、第23代顕宗天皇(485~87年)が鹿の頭を捧げて舞った事が始めとも言われる。国内のものを分類すると伎楽系と風流系に分かれるという

神楽に焦点を戻すと、現代の神楽はごく一部しか残っておらず、歴史の中で形を変えて来たことは注意しなくてはならない。

神楽は大きな分類として、宮中で行われる御神楽とその他の里神楽に分かれる。

御神楽とは

宮中で行われる神楽のこと。

1002年一条天皇によって行われて以来毎年行われるようになった。

一部のみのものを含めれば年に幾度か行われるが、基本的には12月の賢所で行われる神楽を指す。

因みに一条天皇の取り入れた神楽は石清水八幡宮のものであったという説が有力

又、神楽をより詳しく見ていくと以下の分類がある。

 ・巫女神楽

神の使いである巫女が依り代として舞うことで、降臨させることを目的としたもの。神懸り。中には八人もしくはそれ以上から成る八乙女と呼ばれる巫女によって行われるものもある。

 例:春日大社、厳島神社、金刀比羅宮

 ・採物神楽(出雲流)

道具(採物)に重点を置く。具体的には榊、御幣、弓矢、太刀、鈴、扇など。それぞれの採物に合った物語の舞を踊り、その神話の神を降ろすことを目的としている。非常に能に近い。

 例:佐太神社(島根)*[1] 、高千穂神社(宮崎)*[2]

湯立神楽(伊勢流)

霜月神楽とも呼ばれる。湯気を浴びることで身を清めることや、湯を通して神懸りを行ったり、湯から吉凶占う。湯釜の周りでは舞も行われる。祭りという側面が強いからか、神社というより全国の各地域に根付いている。湯立を火山活動と捉えた場合、富士浅間信仰や修験道との関連も指摘されている。

 例:伊勢神宮、保呂羽山波宇志別神社(秋田)、天龍村(長野) *[3]、遠山郷(長野)*[4]、北設楽郡(愛知)*[5]

 ・山伏神楽

山伏*[6]によって行われる神楽で、主に東北に分布している。バラエティーに富んでおり、仏教色が強いものも見られる。ここまでくると、見世物ではなく、秘術としての伝承が為されていたと推察される。

 例:早池峰神社(岩手)、円万寺(岩手)


伎楽・散楽の渡来

特に山伏神楽などでは様々な文化が入り乱れて来たが、神楽の大成には中国文化の影響があったとされる。

  伎楽

中国もしくは朝鮮をルーツとした仏教の芸能で、現存はしていない。

日本書紀には欽明天皇(6世紀中期)の時代で初めて出現し、推古天皇(7世紀初頭)の時代には実際に舞が行われたとされ、その後も聖徳太子や聖武天皇によって取り入れられた。

尚、獅子舞も含まれていたとされ、その後の神楽に組み込まれていった

  散楽

中国隋もしくはそれ以前からあったとされるもので、日本にもたらされて以降は聖武天皇などに取り入れられたが、貴族からはあまり好まれなかったとされる。

渡来時は舞ではなく手品や奇術といった曲芸だったと言う。

それが後に猿楽となり、やがては能へと大成されていく。

この他、かなり古くから楽器の伝来はあったようで、中国の影響を受けつつも、神楽は音楽という形でも一つの地位を確立していく。


太々神楽

ここまでは主に神楽の発生を見てきたが、芸能としての神楽舞は伊勢や熱田などの大きな神社から出張で神楽を舞いに来たことが始めとされている。

又、招く神社側はその為に「講」と呼ばれる積立金を組んだり、席の等級ごとに観客から料金をとったりし、神楽師に払っていた。

舞にも等級があり、それぞれ値段が異なったという。

   ⇒小神楽、中神楽、大神楽(太神楽)、大々神楽(太々神楽)


田楽の発生

能や歌舞伎は渡来した文化を交えつつ神楽と同じ系統を汲んではいるが、発生という観点から見ると田楽だけは毛色が異なる。

 田楽とは

元は田植えの際の豊穣祈願であり、民俗的な行事としての意味合いが強い。

田遊びとも言う。基本的に種まきから収穫までの演目を複数人で舞う。

発生時期は不明。又、地域によって神楽との結合が見られ、平安から鎌倉にかけては散楽と対照的に貴族にも受け入れられていった。その結果、古代の神楽から中世の能楽への橋渡しを担うこととなった。


コラム:天鈿女命の舞

これらの神楽は殆どの伝承で岩戸隠れでの天鈿女命の舞を起源としている。

現代でも芸能の神と言えば天鈿女命であり、椿大神社(三重)に祭っている。

ところが、天鈿女命の夫は猿田彦命であり、この猿田彦命は出雲系であることは間違いないが、あまりよく分かっていない。又、この子孫を猿女君と呼ぶが、こちらもよく分かっていない。ただ言えることは、これらは後の稗田氏となり、記紀の編纂に大きく関わっていることである。

[1] 佐陀神能……佐太神社に伝わる神楽で、出雲流の神楽の源流とされる。主神は猿田彦命。 [2] 高千穂の夜神楽……高千穂町一帯で行われる神楽で11月に来年の豊穣の為に奉納する。猿田彦から始まり、計33番まである。舞は男性によって行われる。因みに邇邇芸命が初めて降り立ったのも高千穂である。 [3] 天龍村の湯立神楽……天龍村にある天照皇大神宮の「向方(むかがた)お潔め祭り」、諏訪神社の「坂部(さかんべ)の冬祭り」、池大神社の「例祭」の三つの神楽の総称。千と千尋の神隠しの元となっているという説も。 [4] 遠山の霜月祭り……遠山郷の幾つかの集落で行われるものの総称。伝承ではその土地の農民が悪政に対抗して一揆を起こしたところ、翌年から飢饉と病が起こった為に殺した遠山領主を祭ったことが始まり。 [5] 花祭……愛知県の北設楽郡(きたしたらぐん)などで行われるもの。非常に舞の数が多く湯立の側面は薄い。元々は、女性は舞に参加できず見るだけあった(八乙女も男性に替わっているという)が、近年は参加が可能となっている。 [6] 山伏……日本各地の霊山などで修業を行う人々のこと。修験道。主に山岳信仰と仏教が結び付いたものとされ、密教のような呪術的な教えを持つ。江戸時代には山伏法度も出された程一定の人口を保っていた。

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