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地震についてまとめてみた②(レジュメベタ張り)

《第二章 地震大国日本》

日本という環境

 日本のプレート

  これらを前提として日本及び大阪の地震対策を見ていく

  日本周辺には四つのプレートがある

   ・ユーラシアプレート(内陸)

   ・北米プレート(内陸)

   ・フィリピン海プレート(海洋)

   ・太平洋プレート(海洋)


 日本の海溝

  これらプレートの境界部分には以下の海溝が存在する

  ・千島海溝(千島カムチャッカ海溝)

北海道沖の海溝。

津波の影響は北海道東部の太平洋の海岸では大きいのに比して、東北地方の海岸、北海道の日高支庁以西の海岸への影響は小さい。

以下の地震がそれぞれ平均70年周期で発生する。

十勝沖地震

(天保十勝沖地震(1843)*[1]、1952年十勝沖地震*[2]、平成15年十勝沖地震(2003))

根室沖地震

(1843年、1894年、1973年根室半島沖地震*[3]

色丹島沖地震

(1893年、1969年)

択捉島沖地震

(1918年、1963年)

  ・日本海溝

北海道南部から千葉県沖までに広がる海溝。

ここでの地震は主に三陸沖地震と呼ばれるが、東日本大震災以前は100年の周期とされていたようである。

しかし、近年の研究では東日本大震災*[4]規模(M8以上)の大地震が550-600年の周期で起こっており、慶長三陸地震(1611)*[5]などがこれに該当すると考えられている。

また、三陸のリアス式海岸は地形上津波の影響を受けやすい。

  ・伊豆・小笠原海溝

フィリピン海プレートと太平洋プレートの2つの海洋プレートの境界。

巨大地震の頻度は少なく、八丈島東方沖地震(1972)*[6]などが代表例となる。

  ・相模トラフ

相模湾から房総半島南部を通るトラフ。

M8クラスの地震は元禄関東地震(1703)*[7]と関東大地震(1923)があり、周期は180-590年とあまり定まっていない。

M7クラスでは明治東京地震(1894)*[8]や千葉県東方沖地震(1987)*[9]に代表され、静穏期と活動期があるものの、今後30年での発生確率は70%とされる。

  ・南海トラフ

日向灘沖から駿河湾沖にかけてを通るトラフ。

宝永の大地震(1703)*[10]や安政の大地震(1854)*[11]、昭和東南海地震(1944)*[12]、昭和南海地震(1946)*[13]に代表される大地震が100~200年、もしくはそれ以上の一定周期で生じるが、正確な周期は判明していない。

又、安政の大地震のように海溝型地震に伴う内陸型地震の同時発生も懸念される

  ・南西諸島海溝(琉球海溝)

日向灘以南の海溝。

地震規模は比較的小さいが、芸予地震(1905)*[14]や平成13年芸予地震(2001)*[15] 、20-27年の周期で発生している日向灘地震*[16]などM7クラスの地震がしばしばみられる。

また、八重山地震(1771)*[17]では沖縄の各島で最大遡上30mの津波による被害が出た。

[1] 天保十勝沖地震……1843年4月25日。千島海溝付近を震源とする海溝型地震。死者43名 [2] 1952年十勝沖地震……1952年3月4日。北海道東南部の50km沖を震源とする千島海溝の海溝型地震。1933年の昭和三陸地震の記念日が近かった為避難訓練が活きたとされる。最大震度は6。死者28名 行方不明者5名 負傷者287名 [3] 1973年根室半島沖地震……1973年6月17日。北海道東部を震源とする千島海溝の海溝型地震。最大震度は5で、最大遡上2.8mの津波が到達し浸水被害が起こった。死者行方不明者0人 負傷者26名 [4] 東日本大震災……東北地方太平洋沖地震。2011年3月11日。宮城県沖の70㎞地点を震源とする日本海溝の海溝型地震。三陸沖地震の一つとみられる。揺れはかなり広い範囲に到達し、関東でも液状化現象が発生した。また、津波による被害が著しく、原発事故といった二次被害を引き起こした。最大震度は観測史上三度目の7。津波の遡上は観測史上最大の43m。死者1.9万人 行方不明者2561名 負傷者6242名 [5] 慶長三陸地震……1611年12月2日。日本海溝付近を震源とする巨大地震。地震の被害は少なく、津波による被害が大きかったと推定されている。古くから三陸沖地震の一つと見られてきたが、東北地方太平洋沖地震の周期と見る動きもある [6] 八丈島東方沖地……1972年12月4日。最大震度は6で、津波は殆ど観測されなかった [7] 元禄関東地震……1703年12月31日。相模トラフを震源とする海溝型地震。大正関東地震よりも規模は大きく、土砂災害、火災、津波による被害が生じた。推定最大震度は7。死者6700名以上 [8] 明治東京地震……1894年6月20日。東京湾北部を震源とする南関東直下型地震。どのプレートを震源としていたかは判明していない。最大震度は6。死者31名 負傷者157名 [9] 1987年千葉県東方沖地震……1987年12月17日。千葉県九十九里浜付近を震源とするフィリピン海プレート内部の地震。千葉県東方沖地震は1987年の他に2012年にも東日本大震災の余震で起こっている。最大震度は5。死者2名 負傷者144名 [10] 宝永の大地震……1703年10月28日。東海道・南海道沖を震源とする南海トラフ巨大地震。推定最大震度は7。推定死者数は5千人とも2万人とも言われる [11] 安政の大地震……1854年から1855年にかけて各地で発生した地震の総称。安政東海地震、安政南海地震、飛越地震、安政八戸沖地震、伊賀上野地震、安政江戸地震がこれに含まれる。いずれも震度6から7にかけての地震であり、南海トラフの地震に該当する。 [12] 昭和東南海地震……1944年12月7日。紀伊半島東南部を震源とするプレート間地震。戦時中で情報が統制されていた。推定最大震度は7。死者行方不明者1223名 負傷者2864名 [13] 昭和南海地震……1946年12月21日。紀伊半島南部沖を震源とするプレート間地震。津波による被害が大きい。最大震度は6。死者行方不明者1330名 [14] 芸予地震……1905年6月2日。広島県安芸灘を震源とする地震。死者11名 行方不明者177名 [15] 平成13年芸予地震……2001年3月24日。広島県安芸灘を震源とする地震。最大震度は6弱。死者2名 負傷者288名 [16] 日向灘地震……宮崎県及び大分県沖で発生する地震の総称。代表的なものは1941年、1968年、1984年などM7クラスの地震が頻発している [17] 八重山地震……1771年4月24日。沖縄の八重山列島近海を震源とする地震。地震による揺れの影響は殆どなかったが、最大遡上30mの津波が宮古・八重山列島に押し寄せ、死者行方不明者が1.1万人出る被害となった(八重山諸島では島民の3分の1にのぼる)

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